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しゅんせつのでわじのみっか
春雪の出羽路の三日
喜田 貞吉
「社会史研究 第九巻第六号」1923(大正12)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,521 字 · 33 页
仙北あるいは『吾妻鏡』に千福ともある。例の奥羽訛りによってセンポクとセンプクと、その区別がしにくかったので、鎌倉武士が土人の口にするところを聞いたままに、勝手な文字を書いたのだ。この地方は川の上流に位置し、南は山で限られていたために、日本文化の及ぶことは比較的遅かった。出羽方面の王化はまず海岸から入り込んだので、秋田・渟代(能代)の辺はすでに、斉明天皇朝に阿倍比羅夫の遠征によって郡が置かれ、当時津軽の辺にまで、内地化したる熟蝦夷がいたほどであった。しかるにこの山間の仙北地方は、なお久しく麁蝦夷すなわち生蕃の住処として遺され、奥州の国府多賀城から、出羽の秋田城に通ずるにも、最上川に沿うていったん西に下り、飽海郡から西海岸を迂回したものであった。それではあまりに不便とあって、天平年間にこの方面の蝦夷を征して雄勝の道を通じ、最上郡からただちに御物川の上流に出ることとなった。それからだんだんと内地人を雄勝城にうつし、仙北平野の拓殖も進んで来る。蝦夷も次第に内地化して、いわゆる俘囚となって来たのではあったが、その後なお久しく民夷雑居の境であった。天平の開通を距る約百四十年後の元慶四年において、出羽の国司はこんなことを上言している。