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つきのまつやま

月の松山

山本 周五郎

「キング」大日本雄辯會講談社、1954(昭和29)年8月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 20,451 字 · 41 页

青空文庫

すっかり明けはなれてから、桂がみまいに来た。茂庭(掃部介)信高の一人娘で、年は十八歳になる。――一刻ほどまえ、彼は西秋泰二郎に「稽古を休む」と云ったが、桂はそれを聞いてみまいに来たようであった。孝也の顔を見るなり、桂は吃驚して眼をみはった。彼は毛の濃いたちで、無精髭が伸びていたし、まだ洗面もしていなかったが、その顔や眼つきに現われた憔悴の色は異常であった。

「そんなにお悪かったのですか」桂は非難するように云った、「どうしてそう仰しゃいませんでしたの」

「いや、たいしたことはないんです」

「すぐに誰か医者へやりますわ」

「いや、たいしたことはない」と孝也が云った、「もういいんです、もう少ししたら御挨拶にまいります」

娘は黙った。孝也の口ぶりは突放すようだし、その眼もいつものようには桂を見なかった。いちどすばやく彼女を見たが、すぐ冷淡に脇へそらした。

――なにか変ったことがあったのだ。

桂はそう思った。そう思いながら、黙って孝也の顔を見まもった。

「先生には黙っていて下さい、本当にもういいんだから」と孝也は云った、「あとでうかがいます、……弥六が熊の仔を捉まえたそうですね」