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くわのきものがたり
桑の木物語
山本 周五郎
「キング」大日本雄辯會講談社、1949(昭和24)年11月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 39,815 字 · 79 页
「自分の玩具だと思ってやがる、世話あねえや」
そのころからのことだが、正篤の噂がときどき耳にはいった。武家の客たちの話すのも聞いたし、世間にも評判好きな者がいて、少し珍しいことがあると自分のことのように触れまわるから、坐っていてもしぜんいろいろなことが聞けた。――正篤は名君という噂であった、藩治に多くの功績をあげ、領民に慕われるばかりでなく、幕府のおぼえもいいらしい、躯も健康で、武鑑にはもう三人の子が載っていた。
――名君、あのときの信さんが、名君。
悠二郎はほのかに懐旧のおもいにとらわれた。しかしすでに遠い思い出であり、もはや自分には縁のないひとであった。悠二郎は高い空をわたる風の音でも聞くような、一種の虚しいおもいで、そっと溜息をつき、窓の外へ眼をやった。
勇吉の三つの年にまた女の子が生れた。
「おっ母さんよりよっぽど功者だぜ」
仙吉はよろこんで、やっぱりつならびだと、こんどはお初と名をつけたが、自分はその年の夏のはじめに、急性の腸を病んで亡くなった。
――ひどい痛みを伴う下痢で、しまいには赤いものを下したりして、ほんの十日ばかりのあっけない死にかただった。