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さくらのみのじゅくするとき

桜の実の熟する時

島崎 藤村

「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页

青空文庫

賄の食わせる晩食を味おうとして、二人は連立って食堂の方へ行った。黙し勝な捨吉は多勢の青年の間に腰掛けて、あの繁子に図らず遭遇したことを思出しつつ食った。

捨吉が食堂を出た頃は、夕方の空気が岡の上を包んでいた。すべての情人を誘い出すようなこういう楽しい時が来ると、以前彼は静止していられなかった。極く極く漠然とした眼移りのするような心地でもって、町へ行って娘達に逢うのを楽みにしたり、見知り越しなお嬢さんの家の門なぞに佇立んだり、時には繁子の居る寄宿舎の方へ、あるいは彼女が教えに通う学校の窓の見える方まで行ったりして、訳もなしに彷徨い歩かずにはいられなかった。その夕方さえ消えた。

捨吉は寄宿舎の方へ帰った。同室の学生は散歩にでも出掛けたかして、部屋には見えない。窓のところへ行って見ると、食事を済ました人々が思い思いの方角をさして広い運動場を過ぎつつある。英語の讃美歌の節を歌いながら庭を急ぐものがある。張り裂けるような大きな声を出して暗い樹蔭の方で叫ぶものがある。向うの講堂の前から敷地つづきの庭へかけて三棟並んだ西洋館はいずれも捨吉が教を受ける亜米利加人の教授達の住居だ。