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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
十
その人を見たいと思った。そしてその人の容貌や年齢や経歴を書いたものによっていろいろさまざまに想像して見た。
十
延びよう延びようとしてもまだ延びられない、自分の内部から芽ぐんで来るもののために胸を圧されるような心持で、捨吉はよく吉本さんの家の方へ翻訳の仕事を分けて貰いに通って行った。その日まで彼が心に待受け、また待受けつつあるものと、現に一歩踏出して見たこの世の中とは、何程の隔りのものとも測り知ることが出来なかった。何時来るとも知れないような遠い先の方にある春。唯それを翹望する心から、せっせと怠らず仕度しつつあった彼のような青年に取っては、ほんとうに自分の生命の延びて行かれる日が待遠しかった。
その心から、捨吉は自分の関係し始めた雑誌の中に青木という人を見つけた。その心から、捨吉は堅い地べたを破って出て来た青木の若々しさを尊いものに思った。青木のように早い春を実現し得たものはすくなくも捨吉の眼には見当らなかった。
逢って見た青木は、思ったよりも書生流儀な心易い調子で、初対面の捨吉を捉まえて、いきなりその時代の事を言い出すような人であった。麹町の吉本さんの家で、例の応接間の大きなテエブルの前で、捨吉は自分の前に腰掛けながら話す四つか五つばかりも年長な青木を見た。