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さくらのみのじゅくするとき

桜の実の熟する時

島崎 藤村

「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页

青空文庫

と吉本さんが捨吉に紹介した。

この人が青木と並んで、吉本さんの雑誌にさかんに特色のある文章を書いている岡見だ。初めて逢った岡見には、良家に生れた人でなければ見られないような慇懃で鷹揚な神経質があった。岡見は青木よりも更に年長らしいが、でもまだ若々しく、直ぐにも親しめそうな人のように捨吉の眼に映った。

捨吉は田辺の留守宅から牛込の方に見つけた下宿に移った。麹町の学校へ通うには、恩人の家からではすこし遠過ぎたので。それに田辺の姉さんは横浜の店の方から激しく働いた身を休めに帰って来ていたし、お婆さんの側には国許から呼び迎えられた田辺の親戚の娘も来て掛っていたし、留守宅とは言っても可成賑かで、必ずしも捨吉の玄関番を要しなかったから。

牛込の下宿は坂になった閑静な町の中途にあって、吉本さんと親しい交りのあるというある市会議員の細君の手で経営せられていた。この細君は吉本さん崇拝と言っても可いほどあの先輩に心服している婦人の一人であった。随ってその下宿にも親切に基いた一種の主義があって、普通の下宿から見るといくらか窮屈ではあったが――例えば知らないもの同志互いに同じ食卓に集るというごとき――しかし慣れて見れば割合に楽しく暮すことが出来た。