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さくらのみのじゅくするとき

桜の実の熟する時

島崎 藤村

「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页

青空文庫

のみならず、下手な吉本さん贔顧の多いことが、心あるものに一種の反感をさえ引起させた。こういうことを岡見は眼中に置かない訳にはいかなかったらしい。何と言っても吉本さんは時代の寵児の一人で、それに岡見は接近し過ぎるほどあの先輩に接近していたから。もともとあの先輩に岡見を近づけたのも、任侠を重んずる江戸ッ子の熱い血からであったろうが。

こうした複雑な、蔭日向のある、人と人との戦いの多い、大人の世界の方へ何時の間にか捨吉も出て来たような気がした。麹町の学校の方の噂につれて岡見の話は捨吉が待受けて行ったような人の噂に触れて行った。

「お勝さんか」と岡見が言った。「なかなか性質の好い人ですよ。ふっくりと出来たような人ですが、あれでなかなかしっかりしたところがあります」

その時、年長の岡見が正面に捨吉を見た眼には心の顔を合せたようなマブしさがあった。捨吉は何とも答えようが無かった。

「駄目です、あんな気の弱い人は」

とかなんとか言い紛らわそうとしたが、思わず若い時の血潮が自分の頬に上って来るのを感じた。それぎり岡見は勝子のことも言出さなかった。しかし雑談の間に混って出て来たその短い噂だけで捨吉には沢山だった。