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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
玉木さんの小母さんは行く行くは女の伝道師にと志している人であった。まだこうして田辺の世話に成らない前、よく築地の方から来て、滔々とした弁舌で福音の尊さを説きすすめたことを捨吉も耳に挾んだことがある。この婦人に言わせると、すべては神の摂理だ。貧しさも。苦しさも。兄なる人の家へ来て夫婦して身を寄せるほどの艱難も。おのが伝道師たらんとする志を起したのも。おのが信仰の力によって夫を改宗させたということも。三度々々の涙のこぼれるような食事も実は神の与え給うところの糧である。田辺の小父さんが横浜の方からでも帰って来ている日には、殊に玉木の小母さんの気焔が高かった。物に感じ易い捨吉はこの婦人と田辺のお婆さんや姉さんとの女同志の峻烈しい関係を読むように成った。殊にそれを一緒に食台に就く時に読んだ。
「玉木さん、御飯」
と時には捨吉が二階の梯子段のところへ呼びに行くことがある。すると夫婦は一階ずつ梯子段を踏む音をさせて降りて来て、入念に食前の感謝をささげた。ややしばらく夫婦が頭を下げている間、姉さん達も箸を取らず、夫婦が頭をあげるまで待っていたが、その間の沈黙には捨吉に取って何とも言いようのない苦しいものが有った。