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りょうしのむすめ

漁師の娘

徳冨 蘆花

「家庭雑誌」1897(明治30)年1月25日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,592 字 · 23 页

青空文庫

手を翳して向うを見ると、水漫々として飛ぶ鳥の影もなく、濁浪渦まいて流れ行くのが月下に見える。麻生の方は眼に見えぬほど沈んで、大海を隔てたようだ。遥に北の方を眺むれば、常見る霞が浦俄に浮き上ったように、水々として遥に天腹を浸し、見ゆる限りの陸影皆小く沈んで、唯遥に筑波山の月影に青く見えるばかりだ。更に南の方を見ると、北利根、横利根、新利根の水一処に落ち合って、十六島は何処に行ったか影も見えぬ。唯水勢浩々渺々として凄じく南の方に押して行くのが荒海のように聞える。

「婆さん、お光あ何してる」。「ほんに、お光あ何してるだんべい」、飯焚いて居た媼はふっと気づいて其まま声を立て「お光ちょうお光ちょう」と呼んだが返事がない。仮屋のむしろ戸明けて半分頸を出し見まわしながら「お光ちょうお光ちょう」と叫んで見ても返事がない。俄に狼狽えて走り出で下を見まわすと、繋いであった舟の影もない。若しやと思って伸びあがって手をかざし、月の光にすかして見ると、成程一艘の小舟が荒波を押切って麻生の方へ向って居る。耳をすますとごうごう鳴りどよむ水音の間々にかすかに櫓の音が聞える。「爺さんお光が――お光ちょう、お光ちょうい」