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わかきひのせっつのかみ
若き日の摂津守
山本 周五郎
「小説新潮」新潮社、1958(昭和33)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 23,437 字 · 47 页
重太夫は鹿の話を信用せず、光辰が計画的に供の者をまいた、というふうに疑っているらしく、容赦のない調子で問い詰めた。すると永井民部が「鹿を見た」と云った。
「私は殿のすぐうしろにおりました」と民部は云った、「殿が鞭でさされましたとき、二三十間かなたの杉の木陰に鹿がいて、そのまますばやく、森の奥へ走りこむのを認めました」
「すっとだ」と光辰は手まねをした、「こんなふうに、すっと、森の奥のほうへ」
「お口数が過ぎます」と重太夫は睨みつけ、光辰の口のあたりを指さした、「お拭きあそばせ」
そして、光辰が口のまわりを袖で拭こうとすると「懐紙」と云いながら、自分のふところを押えてみせた。光辰はしょげた顔つきになり、ふところ紙を取り出しながら、左手の袖で涎を拭き、重太夫は舌打ちをした。
「大切なおん身をもって供にはぐれ、道に迷うなどとは御軽率もはなはだしい」と重太夫は叱った、「おん身に万一の事でもあったら取返しはつきませんぞ、御幼時ならともかく、今後はきっとお慎みあそばせ」
「民部」と光辰は永井民部に訊いた、「――おれは誰だ」
「当老松城主にして」と重太夫が民部より先に激しい調子で云った、「五万六千石の御領主、摂津守光辰さまです、まだそれがおわかりにならないのですか」