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なおこ
菜穂子
堀 辰雄
楡の家 第一部「物語の女」山本書店、1934(昭和9)年11月<br> 楡の家 第二部「文学界」1941(昭和16)年9月号<br> 菜穂子「中央公論」1941(昭和16)年3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 88,758 字 · 173 页
菜穂子はそれには故意と返事をせずに、ただ相手をじっと見つめ返していた。それがいま夫の云った言葉をいかにも空虚に響かせた。
夫はそう云う菜穂子の眼ざしから顔を外らせた儘、もうそんな気休めのようなことは口に出さなかった。
翌日、圭介は母には喀血のことは抜かして、菜穂子の病気を話し、今のうちに何処かへ転地させた方がよくはないかと相談を持ちかけた。菜穂子もそれには同意している事もつけ加えた。昔気質の母は、この頃何かと気ぶっせいな娵を自分達から一時別居させて以前のように息子と二人きりになれる気楽さを圭介の前では顔色にまで現わしながら、しかし世間の手前病気になった娵を一人で転地させる事にはなかなか同意しないでいた。漸っと菜穂子の診て貰っている医者が、母を納得させた。転地先は、その医者も勧めるし、当人も希望するので、信州の八ヶ岳の麓にある或高原療養所が選ばれた。
或薄曇った朝、菜穂子は夫と母に附添われて、中央線の汽車に乗り、その療養所に向った。
午後、その山麓の療養所に著いて、菜穂子が患者の一人として或病棟の二階の一室に収容されるのを見届けると、日の暮れる前に、圭介と母は急いで帰って行った。