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むし
虫
江戸川 乱歩
一~四「改造 第十一卷第六號 六月號」改造社、1929(昭和4)年6月1日<br>五~十二「改造 第十一卷第七號 七月號」改造社、1929(昭和4)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 44,053 字 · 86 页
その上、その昔の恋人が、当時は口を利いた事のなかった彼女が、優しい目で彼を見、微笑みかけ、彼の思想を畏敬し崇拝するかにさえ見えたのである。あれ程の厭人的な憶病者の柾木愛造ではあったが、流石にこの魅力に打勝つことは出来なかった。外の女からの様に、彼女から逃避する力はなかった。彼が彼女に恋を打開けるまでには、たった三度の対面で充分だったことが、よくそれを語っている。
三度とも、場所は変っていたけれど、彼等は最初と同じ三人で、御飯をたべながら話をした。引張り出すのは無論池内で、柾木はいつもお相伴といった形であったが、併し、芙蓉がその都度快く招待に応じたのは、柾木に興味を感じていたからだと、彼はひそかに自惚れていた。池内が気の毒にさえ思われた。芙蓉は、池内に対しては、普通の人気女優らしい態度で、意地悪でもあれば、たかぶっても見せた。相手を飜弄する様な口も利いた。その様子を見ていると、彼女は柾木の一番苦手な、恐怖すべき女でしかなかったが、それが柾木に対する時は、ガラリと態度が変って、芸術の使徒としての一俳優といった感じになり、真面目に、彼の意見を傾聴するのであった。