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むし
虫
江戸川 乱歩
一~四「改造 第十一卷第六號 六月號」改造社、1929(昭和4)年6月1日<br>五~十二「改造 第十一卷第七號 七月號」改造社、1929(昭和4)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 44,053 字 · 86 页
彼に「人間社会を逃れて来た」という、やや安易な気持を与えたものである。
その郊外の家というのは、向島の吾妻橋から少し上流のKという町にあった。そこは近くに安待合や、貧民窟がかたまってい、河一つ越せば浅草公園という盛り場をひかえているにも拘らず、思いもかけぬ所に、広い草原があったり、ひょっこり釣堀の毀れかかった小屋が立っていたりする、妙に混雑と閑静とを混ぜ合わせた様な区域であったが、そのとある一廓に、このお話は大地震よりは余程以前のことだから、立ち腐れになった様な、化物屋敷同然の、だだっ広い屋敷があって、柾木愛造は、いつか通りすがりに見つけておいて、それを借受けたのであった。
毀れた土塀や生垣で取まいた、雑草のしげるにまかせた広い庭の真中に、壁の落ちた大きな土蔵がひょっこり立っていて、その脇に、手広くはあるけれど、殆ど住むに耐えない程、荒れ古びた母屋があった。だが、彼にとっては、母屋なんかはどうでもよかったので、彼がこの化物屋敷に住む気になったのは、一つにその古めかしい土蔵の魅力によってであった。厚い壁でまぶしい日光をさえぎり、外界の音響を遮断した、樟脳臭い土蔵の中に、独りぼっちで住んでみたいというのは、彼の長年のあこがれであった。