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ろんごものがたり

論語物語

下村 湖人

「現代」大日本雄弁会講談社、1938(昭和13)年

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 132,688 字 · 266 页

青空文庫

(澄みきった日光の下で、生きながら腐爛して行く人間の肉体! 何という自然の悪意だろう。こんな悪意にみちた自然の中で、人間の心だけが、素直に育って行こう道理がない。)

彼はすぐそんなことを考えて、眼を暗い部屋の隅に転ずるのである。

しかし、自分の病気の正体を知った当座のおどろきにくらべると、これでも、彼の心は平静にかえった方である。その当座は、悲しいとか、怨めしいとかいうのをとおり越して、何の判断力もなく、まるでからくり人形のように、家の中をうろつきまわったものである。自殺しようとしたことも、幾度となくあった。しかもそれは、あとで考えると、全く無意識的な発作に過ぎなかったようである。

かように、ほとんど絶望そのものになりきっていた彼が、ともかくも、悲しんだり、怨んだりするだけの人間らしさを取りもどしたのは、まったく孔子のお蔭である。

孔子は、おりおり彼をたずねて来ては、慰めたり、叱ったり、いろいろの教訓を与えたりした。しかし、もっとも多く孔子が口にしたのは、一緒に諸国を遍歴して嘗めた労苦のおもい出、とりわけ、陳蔡の野に饑えたおりのことであった。伯牛にとっては、こうした過去の物語が、何にもましてなつかしかった。