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のわき

野分

山本 周五郎

「講談雑誌」博文館、1946(昭和21)年12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 21,401 字 · 42 页

青空文庫

一

一

「なにがそんなに可笑しいんだ」

「だってあんまりですもの」運んで来た燗徳利を手に持ったまま、お紋は顔を赤くして笑い続けた、「……板前さんがあんまりなんですもの」

「板前がどうあんまりなんだ」

「若さまが鯊のあらいって仰しゃったでしょう、ですからそう通したんですよ、本当にちゃんとそう通したのに、今いってみたらこうやって、爼板の上へ黒鯛をのせているんです」そこでまたさも堪らないというようにふきだした、「……澄ましてこうやって黒鯛を作ろうとしているんですもの、鯊と黒鯛とまちがえるなんてあんまりだわ」

「ばかだな、それがそんなに可笑しいのか」

こう云って又三郎はもの憂げに盃を口へもっていった。……その夜、屋敷へ帰って寝所へはいってから、又三郎はふいとそのことを思いだし、ひとりでくすくす笑いだした。つまらないことをあんなに笑うお紋が可笑しくなったのだ。顔を赤くして片頬にえくぼをよらせて、くるしそうに笑いこける娘の姿も、ありありと眼に浮んだ。……後から考えると、それがお紋という者に眼を惹かれる、最初のきっかけだったのである。

蔦萬というその料理茶屋は、脇屋五郎兵衛という留守役の老人の案内で、一年ほどまえに知って以来の馴染だった。