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こくしかんさつじんじけん

黒死館殺人事件

小栗 虫太郎

「新青年」博文館、1934(昭和9)年4月号~12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 296,741 字 · 584 页

青空文庫

ところが、それから二歩目になると、まるで建物が大きな磁石ででもあるかのように、突然歩行が電光形に屈折していて、そこから、横飛びに建物と擦々になり、今度は、往路に印された線の上を辿って、出発点の造園倉庫に戻っていた。なお、復路に掛ろうとする最初の一歩は、右足で身体を廻転させ左足から踏み出しており、枯芝を越えた靴跡は、左足で踏み切って、右足で跨いでいる。のみならず、二様の靴跡のいずれにも、建物に足を掛けたらしい形跡は残されていなかった。(以上一六六頁の図参照)

裏庭の足跡の図

以上述べたところの、総体で五十に近い靴跡には、周囲の細隙から滲み込んだ泥水が、底ひたひたに澱んでいるだけで、印像の角度は依然鮮明に保たれていた。すなわち、雨に叩かれた形跡は、些細なものも現われていないのである。してみると、靴跡が印されたのは、昨夜雨が降り止んだ十一時半以後に相違ない。しかも、その二様の靴跡について、前後を証明するものがあった。と云うのは、乾板の破片を中心に、二つの靴跡が合流している附近に、一ヶ所套靴の方が、片方の上を踏んでいる跡が残っていた。したがって、套靴を付けた人物の来た時刻が、護謨製の長靴と思われる方と同時か、あるいはそれより以後である事は明らかなのである。