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こくしかんさつじんじけん

黒死館殺人事件

小栗 虫太郎

「新青年」博文館、1934(昭和9)年4月号~12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 296,741 字 · 584 页

青空文庫

法水にさえ、抑えようとしても果せない、妙に神経的な衝動が込み上げてくる。そして、全身を冷たい爪で、掻き上げられるような焦慮を、その時はどうすることも出来ないのであった。

伸子は年齢二十三、四であろうけれども、どちらかと云えば弾力的な肥り方で、顔と云い体躯の線と云い、その輪廓がフランドル派の女人を髣髴とさせる。けれども、その顔は日本人には稀らしいくらい細刻的な陰影に富んでいて、それが如実に彼女の内面的な深さを物語るように思われた。のみならず、最も印象的なのは、そのクリクリした葡萄の果みたいな双の瞳である。そこからは智的な熱情が、まるで羚羊のような敏しこさで迸出してくるのだけれども、それにはまた、彼女の精神世界の中にうずくまっているらしい、異様に病的な光もあった。総体として彼女には、黒死館人特有の、妙に暗い粘液質的なところはなかったのである。しかし、三日にわたって絶望と闘い凄惨な苦悩を続けたためか、伸子は見る影もなく憔悴している。すでに歩む気力も尽き果てたように思われ、その喘ぐような激しい呼吸が――鎖骨や咽喉の軟骨が急し気に上下しているのさえ、三人の座所から明瞭と見える。