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このにぎりめし

この握りめし

岸田 国士

「日光 第三巻第一号」1950(昭和25)年1月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,649 字 · 27 页

青空文庫

そんなわけで、現在では、群馬県自治警察K町警察署勤務という肩書のある彼は、親しくそのあこがれの土地を踏み、朝夕上州の自然と人情とに接し、かの進取と仁侠の精神がどこから生れるのかを早く突きとめたいものと心掛けていた。

だが、E町本署からN村の駐在を命ぜられて足掛け二年、いまだに、これという見当がつきかねている。なるほど、浅間の煙は時に激しく吹きあげ、夜の巡回の重い瞼を、その豪快な火柱が一瞬にひきあけることはあつても、いまだかつて、住民の気風のなかに、ことに青年たちの言動を通じて、特別に彼の期待にそむかぬというような美点を感じとることはできなかつた。その代り、これは、土地柄などとまつたく関係なく、どこにでもある、そしてまた、当節はそれが目立つて多くなつている、あらゆる犯罪、醜い生活のすがたは、一日として彼の眼にうつらぬ日はなく、一日として、彼の心を暗くしない日はなかつた。

こゝ一と月ほどの記録に徴しても、例えば、肉屋へ牛を曳いて売りに来た男がいる。肉屋はその値にだまされて金を渡した。隣村の駐在から牛の盗難があつたから、そちらでも注意してくれと電話がかゝつたので、早速、肉屋へ電話でそのことを伝えると、それと察した牛盗人は黒い一頭の牛を店先につないだまゝ、雲を霞と姿を消してしまつた。