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このにぎりめし

この握りめし

岸田 国士

「日光 第三巻第一号」1950(昭和25)年1月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,649 字 · 27 页

青空文庫

七

脈はたしかに打つている。念のために、首筋へ手を突つ込んでみると、まだ体温もある。雪明りへ顔を向け直そうとすると、眉がぴりぴりと動き、唇がかすかに物言いたげにふるえた。まだ四十そこそことみえる行商風の旅慣れた恰好からいつても、たゞの行路病者でなく、なにか急病の発作としか思えなかつた。

「どこが悪いんだ、え、物が言えんのか」

連れて来た青年と二人で、近所の農家まででも運ぼうと相談しているところへ、岡本弘が、襟巻の一端を風になびかせながら駈けて来た。彼は、いきなり、やつと横向けにしたばかりの男の顔に自分の顔を近づけて、呼吸をたしかめ、やがて、ふところから取り出した大きな握り飯を、その鼻先へ突きつけた。その男は、しばらく喉をごくごくいわせていたが、やつと、それこそ、精いつぱいの努力で、口をあんぐりと開いた。まさしく、極度の空腹のために、歩く力を失つていたのである。

七

翌朝、その旅の男は、元気なすがたで駐在所に近い愛仙閤という旅館を発つて行つた。増田健次は、しかし、型通りの戸籍調べをしたにはしたのだが、別段、自分がなにをそれ以上にしたか、報告に綴るほどのことはなにもしていないのに気がついた。