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このにぎりめし

この握りめし

岸田 国士

「日光 第三巻第一号」1950(昭和25)年1月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,649 字 · 27 页

青空文庫

二

の立場で処理したつもりでも、世間はそう受けとつてくれぬおそれがある。現に、増田巡査も、そういうジレンマに苦しんだ経験がもうたびたびあるのである。彼は、そのたびごとに、法の冷たさというものを悲しく思つた。そして、その冷たさを自分の身に背負つている限り、いくら個人として温かい心を失わぬつもりでも、民衆に互して真にその仲間となることはできぬのではないかという不安が襲つて来るのである。

二

ある日のこと、それはちようど秋の末で僅かな耕地の名ばかりの収獲もすみ、早霜がすでにいくどか降り、炬燵には火を絶やすことのできぬ頃であつた。珍しく風もない日で、朝から増田健次は駐在所の窓ぎわの机に向つて、新制高等学校の講義録を読んでいた。

そこへ、のつそり顔を出したのが、いつか泊り客の心中事件があつた信濃屋旅館の主人である。ものをいうたびに、欠けた前歯の隙間からチヨロチヨロ舌の先がみえ、そこから呼吸が漏れるとみえて、発音がはなはだ明瞭でない。

「お早ようござんす。またご勉強かね。増田さんは、その分じやと、すぐに部長さんだね。昇進はえゝが、転任は困りますぜ。なに、困るのはこつちばかりだが、お蔭さんでせつかく枕を高うして寝られるのに……」