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ちくしょうだに

ちくしょう谷

山本 周五郎

「別冊文藝春秋」1959(昭和34)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,788 字 · 138 页

青空文庫

額の狭いうしろにのめった頭には、赤茶けた髪の毛が密生してい、また頬へかけて、同じ色の髯が隙もなく伸びているあいだに、きみの悪いくらい赤く厚い唇と、大きな、黄色い歯の剥き出されるのが見えた。

「どんな罪があるか知らない」と隼人はなお静かに云った、「だが、かよわい女にそんなむごい仕置をしてはならぬ、おれはこんど来た木戸番頭で、朝田隼人という者だ」

男はまっすぐにこっちへ来た。隼人はべつに危険も感じず、そこに並んでいる男女のほうへ、さらに呼びかけようとしながら、大股に近よって来る男のまったく無表情な顔を見、岡村七郎兵衛の注意を思いだした。

――軽率なことはしないで下さい。

隼人は脇へ除けようとした。そこへ男がとびかかって来、些かの躊躇もなく、拳を振って隼人の顔を殴った。そんなことをされようとは予想もしなかったし、男の動作は驚くほど敏捷で、しかもちから強く、断乎としたものであった。左の頬骨を殴られたと思うと、右の頬を殴られ、隼人は眼の中で電光がはしるのを見た。立ち直る暇もなく、むろん躰をかわす暇もない。初めの拳で頭の芯が痺れ、よろめきながら、腹とうしろ頸に烈しい打撃を感じ、倒れたときに、後頭部が岩に当る鈍い音を聞いた。