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ちくしょうだに
ちくしょう谷
山本 周五郎
「別冊文藝春秋」1959(昭和34)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,788 字 · 138 页
べつにどういうこともない、無事にやっているがなぜだ、と隼人が問い返した。帯刀はそれには答えず、根岸伊平次を知っているな、と訊き直した。
「知っている、道場で稽古をつけていた」
「なにか話を聞かなかったか」
隼人は黙って帯刀の顔を見まもった。
「朝田さんの傷の一つが、背中から突き刺されたものだ、ということを話したそうだが、覚えはないか」
「それは済んだことだろう」
「いや、新しい事実があるんだ」と帯刀は云った、「根岸から聞いてしらべてみたんだが、勘定方から五百両引出したのは朝田さんではないらしい、朝田さんの印判が使ってあるが、その印判も偽造のようだ」
「なんのためにそんなことをしらべたんだ」
「なんのためだって」帯刀はむっとしたように隼人を見た、「朝田さんの罪が無実であり、はたしあいにも不審があるとすれば、しらべてみるのが当然じゃあないか」
「それはもう済んだことだ、――小池自身がそう云った筈だぞ」
「そう云ったのは事実がわからなかったからだ」
隼人は静かに立ちあがって戸納をあけ、手文庫の中から一通の封書を取り出すと、戻って来て帯刀に渡した。
「おれが江戸で受取った兄の手紙だ」