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やぶからし

やぶからし

山本 周五郎

「週刊朝日増刊」朝日新聞社、1959(昭和34)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,476 字 · 44 页

青空文庫

良人は「笑われましょうか」と答えた。

わたくしの鼓はいっこうに進まないので、初めての方に聞かれるのは辛い筈であるが、そのときは恥ずかしさも思わず、すなおにその支度をした。正直に云うと、良人の相手をすることに、うれしいような胸のときめきさえ感じたとおぼえている。おとうさまがしてとつれ、良人がわきとともをうたった。それはいいけれども、良人もまたおとうさまと似たりよったりで、うたい初めの「時雨をいそぐ紅葉狩――」という、つれうたいのところで早くも間拍子が狂い、互いに相手に合わせようとするものだから、まるで立ちはじめた赤児のように、あちらへよろよろ、こちらへよろよろとなり、「これはこのあたりに住む女にて候――」という、さし謡になるまえに、お二人ともくすくす笑いだしてしまった。

「今夜は喉のぐあいが悪い」とおとうさまは仰しゃった、「これくらいにしておこうか」

「このくらいにしておきましょう」と良人も笑いながら云った、「――母に云わせますと、私の声はふかしぎな声だそうで、私が謡をうたいますと、一町四方の犬が全部いなくなってしまうそうです」

そんなことはあるまい、と云いながらおとうさまがまた笑いだし、おかあさまもわたくしも、がまんできずに笑ってしまった。