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よあけまえ
夜明け前
島崎 藤村
04 第二部下
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 105,172 字 · 206 页
「これは、いらっしゃい。」
その柳床の亭主が声を聞いて、半蔵は二、三の先着の客のそばに腰掛けた。髷のあるもの、散髪のもの、彼のように総髪にしているもの、そこに集まる客の頭も思い思いだ。一方にはそこに置いてある新版物を見つけて当時評判な作者仮名垣魯文の著わしたものなぞに読みふける客もあれば、一方には将棋をさしかけて置いて床屋の弟子に顔をやらせる客もある。なんと言っても、まだまだ世の中には悠長なところがあった。やがて半蔵の順番に回って来ると、床屋の亭主が砥石の方へ行ってぴったり剃刀をあてる音にも、力を入れてそれを磨ぐ音にも、彼は言いあらわしがたい快感を覚えた。むさくるしく延びた髭が水にしめされながら剃られるたびに、それが亭主の手の甲の上にもあり、彼の方で受けている小さな板の上にも落ちた。
いつのまにか彼の心は、あとからはいって来た客の話し声の方へ行った。過ぐる日、帝の行幸のあったおり、神田橋外で御通輦を待ち受けた話をはじめた客がそこにある。客は当日の御道筋に人の出たことから、一人の直訴をしたもののあったことを言い出し、自身でその現場を目撃したわけではないが、往来の人のうわさにそれを聞いて気狂いと思って逃げ帰ったという。