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きせつのないまち

季節のない街

山本 周五郎

「朝日新聞 夕刊」1962(昭和37)年4月1日~10月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 201,379 字 · 394 页

青空文庫

「そうかもしれないけれどね」良さんは頬笑みながら、舌が重くて動かないような口ぶりで、ゆっくりと答える、「三十本にしないと、あたいの気が済まないんだよ」

数が揃うと、立ててある厚板の側面へ、毛の根元のほうをとんとんと当てて、根揃えをし、右手に持ったごくぼその針金できりきりと根元を巻き、針金の一端を、ブラッシの穴に通して引き、毛の根を穴に引き入れて固定し、針金の余りを鋏で切る。穴は中の三列が二十、左右の一列が十七、ぜんぶで九十四あり、その一つ一つへ三十本ずつの毛を植えてしまうと、固定した針金を叩いて平らにし、にかわを塗って裏木をかぶせて染める。

にかわはいつも溶けていなければならないから、夏冬とも火鉢に掛けてあり、――したがって家の中にその刺戟性の強い匂いの絶えることはなかった。

「この匂いを嗅いでいると、あたしゃ世の中がはかなくなってきちゃうよ」とみさおは大げさに顔をしかめながら云う、「世間にゃちっとはあたまのいい人もいるんだろうに、にかわからこの匂いを抜く知恵ぐらいはたらかせる者はいないのかね、えっ、臭くってとてもうちになんかいられたもんじゃありゃしないよ」