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やまだちもんどう
山だち問答
山本 周五郎
「講談雑誌」博文館、1946(昭和21)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,163 字 · 32 页
……式は霜月にあげられる約束だった。
その八月中旬のことである、玄一郎は御しゅくん左門氏西の仰付で、急に彦根の井伊家へ使者に立った。
家を出たのはもう午に近かった。供は弥九郎という下僕ひとりである、秋とはいっても日中はまだ暑く久しく雨が無かったので、乾ききった道からは歩くたびに埃が舞い立ち、それが流れもせずにそのまま元の地面におちつくほど風もなかった。……垂井でちょっと休んだだけでそのまま道を続けた、不破の関趾のあたりで昏れかかったが、宿をとるようすがないので供の弥九郎が注意した。
「そう、ちょうど宿あいになったな」と、玄一郎はちょっと立止った、「……昼は暑いし、山を越すには夜のほうがいいだろう、今夜は月もいいだろうから」そしてまた歩きだした。
「大丈夫でしょうか、伊吹越えには時どき悪い狐が出るという噂でございますが」
「狐は困るなあ、然し、御用も急ぐからな」
山にかかると夜になった。幸い山峡に月が出たし、気温もこころよく冷えてきたので登りには楽だった。峠の路高みへ出たところで、岩清水を井にしてあるのをみつけ、そこへ腰を下ろして夜食の弁当を遣った。月はすでに中天へ昇っていた、どこか遠くで渓流の音が聞え、杉や檜や欅などの亭々と生い茂っている森の奥で、なにかに怯えたようにとつぜん鳥たちの鳴き叫ぶ声がしたりした。