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おろかないちにち

愚かな一日

豊島 与志雄

「太陽」1920(大正9)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,045 字 · 29 页

青空文庫

食事がすむと、「碁を打とう」と彼は云い出した。身体に障るといけないと云って、妻と瀬川とはそれをとめた。然し彼はきかなかった。口を利くのが嫌だった。また瀬川を前に置いて黙ってるのも嫌だった。敵愾心に似た漠然たる感情が彼のうちに澱んでいた。彼はその感情の出口を碁の勝負に求めた。「君がやらないなら僕一人でやる。」とも彼は云った。

妻と瀬川とは仕方なしに彼の言葉に従った。その上、雨戸をしめ切った室の中は、火鉢に沸き立っている鉄瓶の湯気で暖くなっていた。彼は床の上に起き上り、高く積んだ蒲団に背中でよりかかって、碁盤を前にした。彼と瀬川とはどちらも笊碁ではあるが、互先のいい相手だった。

彼は黙って石を下した。何だか頭のしんに力がなく、注意が盤面にぴたりとはまらなかった。然しやってるうちに、後頭部の方から熱っぽい興奮が伝わってきて、次第に気分が戦に統一されてきた。そして自ら知らないまに三十目ばかりの勝利を得た。

「病気して強くなったね。」と瀬川は云った。

所が二度目になると、彼の石の形勢がひどく悪かった。方々に雑石が孤立するようになった。彼はじっと盤面を見つめて、頽勢を挽回すべき血路を探し求めた。