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わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页
ズボンは糊付だったので、糊付が雨の日には剥がれるのを怖れて、気をつけて裾に気をやっていた。堀辰雄の結婚式の晩にはじめて此の六つ釦の服を着用していたが、宵雨となったのでひどく気にして、屋内にいながらズボンの糊付をなやんでいた。
「僕の詩でも、ラジオで放送してくれることがあるでしょうかしら、してくれると嬉しいんだがナ。」
「立原道造作詩、『萱草に寄す』なんて、音楽がはいって、睡たい日の昼すぎになると放送するね。」
そんな時代が早く来るとよいと立原は言ったが、自分でも半信半疑の状態で、そんなうまい話はあるまいというふうだった。自分を信じないことはなかったらしいが、詩人としてはそんなに人から愛誦をうけることは未だあるまいという、誰でも持つ初期の心配をたくさんに持っていた。どこでどういう愛誦者がいるかも判らない詩のことでは、死後、三回も全集の版をあらたにした彼のことを、彼はゆめにも思い至ったことはなかろう、そして彼のきれぎれな、美しいとも書き現わさなければ当らない溜息が、後の詩人達の溜息にかわって影響をあたえていたことを思えば、ラジオで放送される程度のあやふやなものではない、年若い愛誦者の一人ずつに幾日も彼の詩はついて放れなかったし、それが詩技のもとになって後代の詩人達をやしなっていることは、全く立原はそれは僕のせい