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わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页
療養所だから窓は明け放たれ、寒さは外の残雪を絡んで室内をつんざいていた。しかも、浅路さんはうすべりの下は板敷の上で、冷えることを承知で寝ていたのである。
「センセイ、僕こんなになっちゃいましたよ、ほら、これを見てください。」
立原はふとんの中で大事にしまってある自分の手を、いくらか重そうにして、出してみせた。それは命のたすからない人の手であって、たすからないことを対手に知らせるための手であり、本人はそれでいて未だ充分にたすかる信仰を持っている手でもあった。私はそれを眺め、手が生きている間は書けるよ、こいつが動かなくなると書けなくなるがと言った。立原は嬉しそうに笑い、生きている大切な右の手をまたもとの胸の上にしまった。私は人間の手というものがどれほどの働きと、生きる証拠を重い病人に自信を持たせているかを、知ったのだ。
中野の町の珈※店で、私は津村と対い合せになり、固いパンを齧り合った。バタのかわりにジャムがついた酸っぱいパンの粉を払って、私はテエブルの上にあご付きをして、腰を伸して言った。
「お見舞いをして宜かった。今日来なければ出渋ってとうとう会わずじまいになるかも知れないところだった。