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わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页
こうなると一人きりでいることに気が負け、私も出かけて見たくもなったが、いままで凝乎としていたのに、いまさら諸君の後を追うわけにゆかず、酒はさびしく既に苦くさえあった。翌日、また温泉廻りをしたが、千家は昨夜散歩して町を見て宜かったといい、町を見ないでいる私に町の話をして聞かせた。孰方かといえば私は旅行していても旅館に閉じこもっている方で、名所旧跡というものに詩情は動かない方であった。それより旅館で一人で飲んでいた方がよい、或いはふらりと煙草を買いに出て町を見るくらいの、負担にならない散歩のほうが余程性にも合い、らくであった。だから私は旅行が嫌いなのだ、いま、この記述を認めている千家元麿の印象は、散歩に出る出ないという僅か三十分間くらいの、彼の心の動きを見たことで、僅かに生きのよい彼を見ることが出来たのである。それも私が皆と散歩に出ていたら千家のいらいらした三十分の心の動きさえ見られなかったし、今日、私の書くべき生きた千家元麿は捉え得なかったであろう、人間なぞどんな時に生きた瞬間を捉まえられるかも判らない、数すくない交友のはたらきと言うものも、対手が死友であった場合、その頭にのこる強さは、かけがえのない鮮かなものなのだ。