轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页
昭和三十二年白秋の弟さんの鉄雄が死去され、私はお詣りして菊子夫人にまたおあいした。その折の礼を返しに菊子夫人ははじめて小宅に見えた。そしてこれから白秋令妹の家子さんの家を訪ねるのだといわれ、では私も家子さんには四十年もお目にかからないので、お送りかたがた門口でいいからお顔が見たいといった。山本鼎の未亡人家子さんの住居は大森山王にあったから、すぐ小宅から近いのである。くるまで山本家までゆくと、白秋令妹が出て見え、すでに失いかけていられるだろうと思われた例のユメミルヨウな、夢二式のお顔を見てやはりおもかげはあると、嬉しくさえあった。家の中にはいらずに私は辞去した。
この白秋の伝記をかくための年代をしらべる必要がある、と、そんな考えで再び家子さんに会って動坂時代、聖天横丁の年月をたずねる決心をした。物臭で机のまわりばかりにいる私は、何時か菊子夫人と行ったおぼえがあるはずなのに、くるまはとうに山王街道を過ぎ、慌てて降りてさがして歩いた。文章をかくために人を訪ね、話を聴きにゆくなどの経験のない私ではあったが、万年筆と懐紙を袂にいれて用意していた。
家子さんは六十歳くらいであったが、まだ見ただけでは若かった。