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しんしょたいこうき
新書太閤記
吉川 英治
11 第十一分冊
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 186,659 字 · 372 页
一日中、秀吉の身辺は、かれのさしずを待つ奉行や留守居の将や、また遠国からの使者や、祐筆や、近習の取次などに、忙殺されていた。
――明けて、次の日。
かれは、すでに、馬上軍旅の人だった。大坂を出た再出陣のえんえんたる兵馬の列は、美濃戦線へ向っていた。
越ゆるに馴れし木曾川も、
わたる思ひは、つねならず
逢ふ瀬のたびに変るかな
春には秘めし、焚き香の
かぶとも、君のおもかげも
夏ぐさ茂き日とすぎて
いつしか露の、槍すすき
小牧へはやる雄ごころは
穂にこそ出さね、浪華なる
君も、寝ざめのくろ髪を
いかに梳くらん、今朝の秋雲――
ふかい朝霧の中をゆく軍馬のうちで、たれかが、歌った。
秀吉は、あたりを見て、
「いまのは、誰か」
と、きいたが、すぐ側の馬上の影さえ、たれとも知れないほどな濃霧である。
「たれだ」
「いま歌うたのは」
次々と、訊ねあう声が、列を流れて行ったきりで、答える声も、何の某です――と、みずから名乗る者もなかった。
秀吉は思った。いまの歌は、自然の声であり、人間の声であると。
かれの想いの中にも、折々には、茶々の顔が、ふと泛んだり、於通の横顔が、ふっと描かれたり、寧子や老母のことも、おもい出された。