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にほんばしふきん

日本橋附近

田山 花袋

「東京日日新聞」1927(昭和2)年4月19日〜5月5日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,383 字 · 37 页

青空文庫

ひとつの低徊――たしかに人生の中のひとつの低徊だった。そしてその時ほど人生のことがはっきりと私の胸に浮んで来ることはなかった。それは平生とて人間や人生のことを考えないのではない。むしろ私はどんな時にでも人生を考えないことはない方の質だ。しかしその巴渦の中にいては落着いて悠遠な境まで入って行くことが出来なかった。いろ/\な雑念がすぐそれを混乱させた。従って私に取ってはその低徊は非常に有意義であった。私はあちこちの角で立留ったり、ショウウインドウの灯の前に足をとどめたり、日本橋の橋の欄干のところで長い間立尽していたりした。私は静かな落着いた心持でそこらをいそがしそうに行ったり来たりする人だちを眺めた。

私はずっと真直に歩いた。それも大抵は右側を。そしてその小僧時分にいた有隣堂の前では、いつもきまって足をとめた。一度はひとつ訪ねて見ようかしらなどと思ったこともあった。それは主人夫婦はもうとうに死んでしまっているにしても、その時十八、九であった総領の娘はまだ生きている筈であった。しかしたとえこっちから名のって行ったところで果して当年の小僧六蔵を覚えているか何うか。