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げつめい
月明
豊島 与志雄
「新小説」1921(大正10)年11月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,772 字 · 34 页
九
眼を開いてみると、それはいつもの俊子だった。
見開いた眼が濡んでるようだった。高い鼻のために淋しく見える頬が、血の気を失って、真蒼だった。きっと結んでる口が少し開いて、やさしい含み声で、
「何に慴えたの!」
云ってしまって彼女はほっと息をした。
彼はぼんやり立ち上った。
「恐いことを思い出して……。」
とでたらめに云い出したのを、彼女からじっと覗き込まれて、先が云えなくなった。頭の奥がしいんとして、胸が高く動悸していた。二人共黙り込んで、沖を眺めやった。時の歩みが止ったような時間だった。
そこへ、姉がこちらを何やら呼びかけながら、向うの松影から駆けてきた。
彼は初めて、俊子の眼をじっと見入った。それに応えて彼女の眼付が首肯いた。瞬間に彼女はくるりと向き直って姉を迎えた。
岸に近い波音を、月の光りが上から押っ被せていた。が、海は沖の方でも鳴っていた。
九
東京に帰ると、海岸よりむし暑くはあったが、それでも秋がしみじみと感ぜられた。避暑地気分がなくなったせいばかりではなく、朝は冷かな霧が罩め、晩には凡てのものがしんと冴えていた。姉弟と女中と三人住みの小さな家にはわりに広すぎる庭に、しきりに鳴いている虫の声が、金属性の震えを帯びていた。