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あさがおぞうし

朝顔草紙

山本 周五郎

「講談倶楽部」大日本雄辯會講談社、1938(昭和13)年10月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,019 字 · 29 页

青空文庫

まだ半ば夢見る心地で、灯明の揺れる仏壇の前へ坐った信太郎は、線香をあげ、鐘を打って静かに合掌した。

信太郎は泣かなかった、不思議なくらい泣けなかった。ただその胸に出来た空虚な穴のようなものが時と共に大きくなり、息苦しい絶望の感じが犇々と五体を圧しつけるのだった。監物は黙って、痛ましそうにその様子を見戍っていた。もう慰めの言葉などは云うすべもなかったのである。

寝苦しい一夜が明けた。

朝は清々しい微風と共に快よく晴れたが、信太郎はゆうべよりも新しい悲しみのなかに眼覚めた。気がつくと何処か、さして遠くない部屋から琴の音が聞えて来る、哀調のみなぎる曲であった。じっと耳を澄ましていると、やがて曲に合せて切々たる唄が、……

うらめしのわが縁

薄雪の契りか消えにし

人の形見とて

涙ばかりや残るらん――

朝顔の曲である、絃の音色も唄も、そのまま信太郎の哀傷を歌うもののようだ。

「……文絵、――文絵……」

思わず低く呼んだが、こみあげて来る涙を感じると慌てて起上り、着換えをして庭へ下り立った。

朝食の席に着いた時、監物の隣に一人の娘が坐った、色の透徹るように白い、眉に憂いを含んだ、淋しげな然し驚くほど美しい顔だちである。