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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
今一つにはそれが無い。なんでも独力で開拓しなければ成らない。彼が自分勝手に歩き出そうとしているのは、その後の方の道だ。言いがたい恐怖を感ずるのも、それ故だ。心の闘いの結果は、覿面に卒業の成績にも酬いて来た。学校に入って二年ばかりの間は級の首席を占め、多くの教授の愛を身に集め、しかも同級の中での最も年少なものの一人であった彼も、卒業する時は極くの不首尾に終った。ビリから三番目ぐらいの成績で学校を出て行くことに成った。しかし彼はそんなことは頓着しなくなった。他の学校に比べると割合に好い図書館が有り、自分の行く道を思い知ることが出来、それからまた菅や足立のような友達を見つけることが出来たというだけでも、この学窓に学んだ甲斐はあったと思った。
新しい世界は自分を待っている。その遠くて近いような翹望をまだ経験の無い胸にもって、捨吉は半分夢中で洗礼を受けた高輪の通りにある教会堂からも、初めて繁子や玉子に逢った浅見先生の旧宅からも、その他種々様々の失敗と後悔と羞かしい思いとを残した四年の間の記憶の土地からも離れて行った。
恩人の家の方へ帰って来て見ると、捨吉は未だ曽てその屋根の下で遭遇ったことも無いような動きの渦の中に立った。