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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
新しい楓の葉が風に揺れて日にチラチラするのを眺めながら、先ず茶の間の横手あたりから草むしりを始めた。お母さんの上京以後、とかく彼に気まずい思をさせるように成ったのは大勝の養子の一件だ。しかし小父さんを第二の親のように考え、長い間の恩人として考える彼の心に変りはなかった。自分は自分の力に出来るだけのことをしよう、その考えから、垣根に近い乙女椿の根元へ行って蹲踞んだ。青々とした草の芽は取っても取っても取り尽せそうも無かった。茶の間の深い廂の下を通って、青桐の幹の前へ立った時は小父さん達の後を追って手伝いに行こうという決心がついた。
「そうだ。浜へ行こう」
その考えを捨吉はお婆さんに話した。
よくも知らないあの港町を見るという楽みが捨吉の心にあった。一日二日経って彼は出掛けて行く支度を始めた。横浜へ行って、もし暇があったら、その夏は何を読もう。一番先に彼の考えたことはこれだ。彼はテインの英文学史を択ぶことにした。それを風呂敷包の中に潜ませた。それからお婆さんの前へ行った。
「お婆さん、これから行ってまいります」
「ああ、そうかい。それは御苦労さまだねえ」
お婆さんは横浜の店の方にある自分の娘の許へと言って、着物なぞを捨吉に托した。