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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
「Oh, We are offering it at the lowest possible price.」
こんな風に捨吉は言って見た。さんざん素見した揚句、二人の外国人はそこを離れて行った。
「捨さん、何を欲しいと言うんです」と須永さんが帳場から言った。
「いえ、硯蓋を出して見せろなんて言って、買うんだか買わないんだか解りません」
「捨さんは好いなあ、英語が解るから」と小僧の一人が言った。
「こういう時は、捨さんでなくちゃ間に合わない」
と新どんが持前の愛嬌のある歯を見せて笑った。
学校の方で習い覚えたことが飛んだところで役に立った。尤も、捨吉のは、読むだけで、こうした日常の会話に成るとまごついてしまうという不思議な英語であったが。
捨吉が伊勢崎屋へ来て何かの役に立つと自分でも感じたのは、しかしこんな場合に過ぎなかった。その店に並べた品物は皆な正札附で、勧め、売り、代を受取り、その受取った金を帳場の方へと運ぶというだけなら、誰にでも出来た。それを一歩でも立ち入って、何か込み入った商法のことに成ると、新どんや吉どんのような多年大勝の御店の方で腕を鍛えて来たパリパリの若手は言うまでもなく、馳出しの小僧にすら遠く彼は及ばなかった。