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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
新どんは唐物類の棚を片付け、その辺に腰掛けて居眠りしている善どんの鼻をつまんで置いて、扇子をパチパチ言わせながら捨吉の方へ来た。
「捨さん、いかがです」と新どんが若い気の利いたお店者らしい調子で言った。
「そろそろ店を仕舞うかな」と真勢さんも立って帳場の方を眺めた。
「寅どんがね、脚気の気味だって弱ってますよ」と言って新どんは真勢さんを見た。
「寅どんが? そいつは不可ナ」と真勢さんも言った。
入口に立った三人の眼は腫れた脚を気にしながら俯向勝ちに棚の前に腰掛けているような寅どんの方へ注がれた。
「なにしろこう暑くっちゃ、全くやりきれない」
と言って扇子で懐へ風を入れている新どんに誘われながら、捨吉も一寸店の外まで息抜きに出た。
明るい伊勢崎屋の入口から射した光が、早や人通りも少い往来の上に流れていた。捨吉は町の真中まで出て、胸一ぱいに大地の吐息を吸った。向うの暗い方から馳出して来て、見ている前で戯れ合って、急に復た暗い方へ馳出して行く犬の群もあった。やがて三四時間もしたら白々と明けかかって来そうな短い夏の夜の空がそこにあった。
小父さんも多忙しかった。商法の用事で横浜と東京の間をよく往来した。