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さくらのみのじゅくするとき

桜の実の熟する時

島崎 藤村

「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页

青空文庫

まだ初心な捨吉には何程の心の戦いから、これほどの文章が産れて来たかと言うことも出来なかった。

「菅君はどうだろう。もうこの雑誌を読んで見たろうか」

と捨吉は自分で自分に言って見て、あの友達がまだ読まずであったら是非とも勧めたい。そして一緒にこういう文章を読んだ後の歓喜を分ちたいとさえ思った。

「婚姻と死とは僅かに邦語を談ずるを得るの稚児より、墳墓に近づくまで、人間の常に口にする所なりとは、エマルソンの至言なり。読本を懐にして校堂に上るの小児が他の少女に対して互いに面を赧うすることも、仮名を便りに草紙読む幼な心に既に恋愛の何物なるかを想像することも、皆なこれ人生の順序にして、正当に恋愛するは正当に世を辞し去ると同一の大法なるべけれ。恋愛によりて人は理想の聚合を得、婚姻によりて想界より実界に擒せられ、死によりて実界と物質界とを脱離す。抑も恋愛の始めは自らの意匠を愛するものにして、対手なる女性は仮物なれば、好しやその愛情ますます発達するとも、遂には狂愛より静愛に移るの時期あるべし。この静愛なるものは厭世詩家に取りて一の重荷なるが如くになりて、合歓の情あるいは中折するに至るは豈に惜しむ可きあまりならずや。