轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

さくらのみのじゅくするとき

桜の実の熟する時

島崎 藤村

「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页

青空文庫

「いづれを君が恋人と

わきて知るべきすべやある。

貝の冠と、つく杖と、

はける靴とぞしるしなる。

かれは死にけり、我ひめよ、

かれはよみぢへ立ちにけり。

かしらの方の苔を見よ、

あしの方には石立てり。

柩をおほふきぬの色は

高ねの花と見まがひぬ。

涙やどせる花の環は

ぬれたるままに葬りぬ」

(『面影』の訳より)

捨吉が口唇を衝いて出て来るものは、朝晩の心やりとしてよく口吟んで見た聖い讃美歌でなくてこうした可憐な娘の歌に変って来た。

鎌倉の方で聞いて来たさかんな蛙の声はまだ耳の底にあった。あの終宵伴侶を呼ぶような、耳についた声は、怪しく胸騒ぎのするまで捨吉の心を憂鬱にした。

ある日、捨吉は麹町の学校から下宿へ戻って来た。彼は自分の部屋の畳へ額を押宛てるようにして、独りで神の前に跪いた。

捨吉が幼い心の底にある神とは、多くの牧師や伝道者によって説かるる父と子と精霊の三位を一体としたようなものでは無かった。神は知らざるところなく、能わざるところなく、宇宙を創造し摂理を左右して余りあるほどの大きな力の発現であるとは言え、そうした神の本質は先入主となった極く幼稚な知識から言えるのみで、捨吉の心の底にあった信仰の対象は必ずしも基督の身に実際に体現せられ、基督の人格に合致したようなものではなかった。