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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
学校のチャペルの方で鳴る鐘の音は早や彼の耳の底に聞えて来た。
学校まで捨吉は何にも乗らずに歩いた。人形町の水天宮前から鎧橋を渡り、繁華な町中の道を日影町へと取って芝の公園へ出、赤羽橋へかかり、三田の通りを折れまがり、長い聖坂に添うて高輪台町へと登って行った。許されてめずらしい講演を聞きに出掛ける捨吉には、その道を遠いとも思わなかった。聖坂の上から学校までは、まだ可成あった。谷の地勢を成した町の坂を下り、古い寺の墓地について復た岡の間の道を上って行くと、あたりは最早陰鬱な緑につつまれていた。寄宿舎の塔が見えて来た。高い窓を開けて日に乾してある蒲団も見えて来た。
夏期学校の催しは構内のさまを何となく変えて見せた。寄宿舎の方へ通う道の一角で、捨吉は見知らぬ顔の青年が連立って歩いて来るのに逢った。聴講者として諸方から参集する外来の客は寄宿舎の廊下をめずらしそうに歩き廻ったり、塔の上までも登って見たりしていた。心をそそられて捨吉も暗い階段を高く登って行って見た。せせこましく窮屈な下町からやって来た彼は四隅に木造の角柱を配置した塔の上へ出て、高台らしい岡の上の空気を胸一ぱいに呼吸した。