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さくらのみのじゅくするとき

桜の実の熟する時

島崎 藤村

「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页

青空文庫

と捨吉にささやいた。

恍惚、感嘆、微笑、それらのものが人々の間に伝わって行く中で、学士は講壇の上から希臘道徳の衰えた所以、基督教道徳の興った所以を文明史の立場から説き初めた。時とすると学士はフロック・コオトの後の隠袖から白い子を取出し、広い額の汗を押拭って、また講演を続けた。時々捨吉は身内がゾーとして来た。清しい、和かな、しかも力の籠った学士の肉声から伝わって来る感覚は捨吉の胸を騒がせた。それを彼はポーと熱くなって来たり、また冷めて行ったりするような自分の頬で感じた。

夏期学校は三週間ばかり続いた。普通の学校の講義や演説会では聞かれないような種々な講師の話が引継ぎ引継ぎあった。いかに多くの言葉がそこで話されたろう。その中にはまたいかに空虚な声も混っていたろう。いよいよ最終の日が来た。講師等の慰労を兼ねて、一同の懇親会が御殿山である筈であった。

「いよいよ御別れだね」

と捨吉等は互に言い合った。三週間は短かかったけれども、その間に捨吉はいろいろなことを考えさせられた。菅との交りは一層隔ての無いものに成って来た。

御殿山はその頃は遊園として公開してあった。