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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

03 第三部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 页

青空文庫

女は息をひそめた。階下に物音と、人の話し声が聞え、女は低い声で、やっぱりうちだよ、と呟いた。

「なか(新吉原)だとこんなことはないんだけれどね、なかには吉原掛りというのがあって、むやみに町方なんぞの手入れはできないんだけれど、こういうところは隠れたしょうばいだから」と女は新八を見た、「兇状持ちがまぎれこんだなんていう口実で、ときには本当にそんなこともあるけれど、たいていは小遣いをせびるために押込んで来るんだよ、あんたなにかあるんじゃなくって」

「なにか、とは」新八は云いかけて首を振った、「おれは浪人だが、侍だから」

「こんなところへ来る役人は下っ端だから、そんなこと遠慮しやしないよ、たぶん下でつかませるだろうけどさ」

新八は起き直った。

――おれは脱走者だ。

ということが頭にうかんだのである。しかしそのとき、梯子段を登って来る人の、話し声が聞え、女がはね起きて、「早く、着物を着てよ」と云った。蒲団を片づけるから、あんたは着物を着てちょうだい、早く。と云い、新八が立ちあがると、女は乱暴に夜具をたたみ、隅のほうへつくね、そして、押しやってあった食膳を、部屋のまん中へ据えた。