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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

03 第三部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 页

青空文庫

給仕は誰もいない。すぐ脇に、ぬぎすてた袴がつくねてあり、脇差も投げだしたままで、正月の寒さにもかかわらず、火桶を遠くへ押しやり、着物の衿をはだけて飲んでいた。いかにも狼藉な飲みぶりであるが、甲斐は気づかないようすで坐った。

「貴方は躾がいい、貴方は家従の躾がなかなかいい」といきなり七十郎が云った、「いま伊達の家中で、これだけ勝手に飲める家はほかにはない、家従はみなよく躾けてあるし、酒はいいし、肴もよろしい、二年ほどまえには家政逼迫というように聞いていたが、国老になるとやっぱりみいりが違うんですな、原田さん」

「きげんがいいらしいな」と甲斐が云った、「なにかいいことでもあったのか」

「きげんがいいですって」

「江戸でいさましく宣告した筈ではないか、もう原田を訪ねる必要はないって」

七十郎はにっと笑い、覚えはいいんですね、と云った。そして、盃を呷って、それに手酌で注いで、下に置いてから甲斐を見た。

「記憶もいいし、度量もある」と七十郎は云った、「じつを云うと、門前ばらいをくうかと思っていましたよ」

「用を聞こうか」

「まあせかせないで下さい」と七十郎は盃を取った、「私のような処士は、なかなかこういう御馳走にはありつけませんからね、――一つ受けてくれますか」