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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

03 第三部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 页

青空文庫

甲斐は眼をそらしながら頷き、帰ろうかねと云って、竿をあげた。宇乃は、もう少しと云いたげな眼で、甲斐の顔を見まもったが、甲斐は気がないようすで糸を巻き、餌箱を持った。

「わたくしが持ちましょう」と宇乃が餌箱へ手を出した。

甲斐はうしろを見て、その茶道具を持っておくれ、と云った。宇乃は茶道具の入っている竹籠を持ち、淵のほうへ振返った。

「いまの鯉は、そのときの主の子供でしょうか」

「どうだかな」

「そうだとようございますわね」

「どうして」

「どうしてでも」

甲斐は笑って歩きだした。

屋敷へ帰ると、甲斐はゆっくり朝食をとった。伊東七十郎のほかに、訪問者が三人待っており、あとからまた二人来て、それらとの用談が済むと、宮崎筑後から、招宴の使いが来た。筑後は本丸城代で、これまであまり親しいつきあいはなかった。片倉隼人は、断わってもいいだろう、と云ったが、甲斐はゆくと答えさせた。

「七十郎はまだいるか」

「ずっと飲み続けで、だいぶ酔っているようでございます」

「与五が鹿の肉を持って来たそうだが、油焼きにして、少し七十郎に出してやれ」

そう云って甲斐は立ちあがった。

甲斐がはいってゆくと、七十郎は、あぐらをかいている片方の裾を捲り、その裸になった膝をぴたぴたと叩いた。