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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

03 第三部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 页

青空文庫

「なにか仰しゃいまして」

「いや、なにも云わない」

おくみはまた微笑し、なん刻でしょうか、と云いかけて、ふとその眼をみひらいた。

「あらうれしい、やっぱり夢ではなかったんですね」とおくみは云った、「あたし夢のなかで夢だと思ってましたの」

「夢をみていたのか」

おくみはするすると夜具からぬけだし、甲斐のほうへ来て、彼の夜具の中へはいった。甲斐が場所をあけてやろうとすると、その躯にすがりつき、そっと、彼の肩のところへ顔を伏せた。

「ゆうべのこと、みんな夢だったんだって、夢のなかで思っていたんです」とおくみが囁いた、「誰かがそばにいて、夢だ夢だって、あんたは夢をみていたんだって、若いきれいな女の人のようでしたわ、夢をみただけなのに、可哀そうなひとだ、って云うのよ」

「よく眠っていたようだよ」

「起きていらっしゃいましたの」

「寝顔を見ていた」

「あらひどい、悪いかた」

悪いかた、と云いながら、おくみは片手を、甲斐のふところへ、すべりこませた。甲斐はするままにさせた。いつもなら身をよけるか、手を押し返すかする。そんなふうに狎れた接触は好まないのだが、そのときは黙って、おくみのするままになっていた。