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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

03 第三部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 页

青空文庫

奥庭の小高くなったところに、望岳亭という別殿がある。その建物には二層の楼があって、楼上から、晴れた日には富士が見えるという。甲斐は初めてその別殿へ来るので、すでに昏くなった松林をぬけてゆくあいだ、ふと、船岡の山を歩いてでもいるような、のびやかにおちついた気分になった。

綱宗は楼上にいた。そこは十帖ほどの平座敷で、上段はなく、三方に丹塗の勾欄のある廊をまわし、坐ったままひろい展望をたのしむことができた。

席には綱宗のほかに、三沢初女と、良源院の玄察がおり、老女藤井と、五人の侍女がいて、酒がはじまっていた。玄察は肥えた躯に墨染の法衣だけで、袈裟はかけていなかった。顔もまるく、逞しく濃い眉と、大きな眼とが、荒法師といった感じにみえるし、実際にも増上寺塔頭のなかでは、相当にらみのきく存在のようであった。

綱宗は三年まえよりもいくらか肉が緊って、膚も健康らしく日にやけ、眼光や、ひきむすんだ口もとなどには、意志と力がこもっているようにみえた。

「辞儀はいらない、久方ぶりだ、これへすすめ」と綱宗は甲斐に云った。

「おさきに、船岡どの」と玄察が会釈した。

甲斐は設けられた席に坐り、遅参したのでしょうか、と玄察に訊いた。