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じろうものがたり

次郎物語

下村 湖人

02 第二部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 146,773 字 · 294 页

青空文庫

そのうち、彼はふと、去年の夏休みに、恭一と俊三とが久方ぶりに母の見舞に来ていたのを、本田のお祖母さんが、いろいろと口実を設けてつれ帰った時のことを思い起こした。

彼は、恭一たちが帰ったあと、母の眼尻から、彼の全く予期しなかったものが真珠のようにこぼれ落ちたのを、今でもはっきり覚えている。ことに、うるんだ眼で微笑しながら、「次郎だけはいつもあたしのそばにいてもらえるわね」と言った、あの悲しい言葉は、忘れようとしても忘れられない言葉だった。

(次郎だけは――次郎だけは――)

と、彼は何度も心の中で母の言葉をくりかえした。そして、ひきつけられるように墓に近づいて行った。

墓はまだ土饅頭のままだったが、ところどころに、しめった落葉がぴったりとくっついていた。彼は手で一枚一枚それをはがして行くうちに、急に悲しさがこみあげて来た。

彼はしゃがんで掌を合わせ、額をその上にのせて眼をつぶった。そして、このごろ忘れがちになっていた母の顔を、一心に思い浮かべようとした。

しかし、彼の眼にすぐ浮かんで来たものは、母の顔ではなくて、「お芳さん」の顔だった。えくぼがはっきり見える。