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ぶけわらじ

武家草鞋

山本 周五郎

「松風の門」操書房、1948(昭和23)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,835 字 · 35 页

青空文庫

なにも聞くな、そう思った。考えてはいけない、かれらには好きなように云わせるがよい、我慢だ、我慢だ。けんめいに自分を抑えつけて、かれはただ鍬を揮うことに身も心もうちこんでいた。

午の弁当のときには、かれは普請場から離れて丘ふところの叢林のほうへいって休んだ。その日もよく晴れあがって、林の中ではしきりに鶇の声がしていた、かれはその鳴声にさそわれてふとその林へはいってみた。楢や栗や黄櫨などは、もう殆んど裸になっていたが、残っている葉のなかには眼のさめるほど美しいもみじしたのがあり、差交わした梢のあたりで鳥が立つと、色とりどりの葉がうちまけるように散ってみごとだった。……林になっているのは僅かな区域で、少しさきにはもう畑がみえていた、しかしいかにも静かで、踏んでゆく足の下からは日に温ためられた枯葉の匂いがあまく匂ってくる、――自然はこんなに美しいのに、こんなにも自然は美しいのに、人間は……考えはまた元へかえろうとする、伝三郎は慌てて頭をうち振った。そしてふと見あげた眼に珍しいものをみつけた、一丈ばかりの高さの黄櫨の木に、山葡萄が絡みついていたのである、蔓はその枝いっぱいに絡んで、黝ずんだ紫色の実が群がるように生っている、もう幾たびか霜にうたれたのだろう、小さな果皮が縮んで粉をふいているのもあった。